Tuesday, July 10, 2007
「故郷」について - Tokyo 7.09.07
「…十四年間、私は上海で育った。私が思う川は河で、どっぷり流れる黄浦江だった。せせらぎの繊細さはなかった。例えば、黄浦江の水上生活者たちは、舟ベリをあわせた一方の舟尻で排便をし、並んだ一方の舟尻で、米を洗う。汚ない、といえば、米を洗う水と、便を運ぶ水が混り合うのは 、ずーっと先だ、だからちっとも汚くない、と彼らはいう。私は、この風土と生活感覚をみて育った。上海は、私故郷だった。子供時代を見知っている人は、上海の路地のなかにしかいなかった。」〜林京子・『上海』・第一章「出発まで」在美中西部出生、台北生長15年、回到美東海岸求學生涯斷斷續續6年,其中又在上海、北京、京都各待過1年或八個月不等,現正邁向東京生活的第四個夏天外加(至少)一個學年 ... 我對「故鄉」的定義,沒有林京子女士來的清楚。
但確定的是,當我想到「河川」,第一個想到的不是淡水或基隆河,卻是京都木屋町旁緩緩流過的高瀨川。當我想到「土地」,眼前浮現的不是印地安那州南灣小鎮旁的玉米田,而是北京四環道邊永遠被層層黃沙覆蓋的白樺樹林。當我想到「公園」,Boston Commons永遠停留為明信片上的照片,而耳邊彷彿可以聽到傍晚的永康公園裡,在秋千或溜滑梯上孩童的嬉鬧聲,及在旁爺爺奶奶(或菲傭)們的聊天或吆喝制止声。當我想到「風味小吃」,最快在腦海裡油然而生的景象不是士林夜市的炒羊肉或人聲吵雜, 而是復旦大學對面小巷裡到半夜一點仍有無數學生光顧的麻辣燙小鋪,或是隔著一條街可以讓所有意大利面師傅汗顏的新疆拉麵店。「市場」的回憶也自然地必須歸給同巷裡有著可以免費幫我把花椰菜撥好、將盧筍尾部纖維堅硬難咬的部分切掉,再把巨大的冬瓜剖好去籽的老板娘的傳統市場。
「今、こうして私は日本語を話していますが、私が話します日本語の概念は中国大陸の風土の上にあります。たとえば、小学校唱歌に『春の小川はさらさらゆくよ』という歌がありますが、これを上海の教室で歌いながら私がイメージしている『かわ』は、さらさら流れる「川」ではなくて、どっぷりと水のある、外国航路の客船が往き交う黄浦江であり、その先にある揚子江です。ですから、私の日本語は四季のある、俳句の世界の日本語とは違っております。非常に即物的でおおざっぱで、日本に帰ってきて同級生たちと話していて、どうもしっくりいかないんです。『あなたの言葉は大袈裟ね』と言われたことがあります。土台が違いますので。」〜林京子・「わたしと上海」
「土台が違いますので」 。
如此的答案,足夠嗎?
梅ちゃん at 4:19:00 AM